CamLife

続・JICA海外協力隊としてカメルーンの農村で暮らすアラサー男子の雑記帳。

不屈のライオンを生んだ国

 

不屈のライオンと聞いて、あの国だ!と思い浮かんだそこのあなた、さてはサッカー好きですね。

イメージが浮かばなかった人は、サッカー・日韓ワールドカップで大分県の中津江村(当時)にキャンプを張った国といえば覚えているでしょうか。

 

 

そうカメルーン共和国です。

 

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カメルーン共和国。西にナイジェリア、南にはガボン、東にチャド等との国境を持つ

 

このブログでは、カメルーンの片田舎で青年海外協力隊(職種・コミュニティ開発)として活動するアラサー男子(アラサーが男子なのかは置いておいて・・・)が日常で感じたことや活動について発信していこうと思います。

 

 

カメルーン=? 

カメルーンと聞いて皆さんはどんなイメージを浮かべますか?サッカー、暑い、貧しい、野生動物・・・

 

 

 

 

はい、確かにサッカー熱は凄まじいです。

2002年の日韓W杯の際、大分県・中津江村にキャンプを張る代表の到着が大幅に遅れ、日本中がやきもきしたことを覚えている方も多いのでは。

 

 

僕が日本人だと知ると、

ナカータ、ホンダ、カガーワという名前を並べ、「どや、詳しいやろ?(にやり)」と顔をしわくちゃにさせます。

 

 

こちらも負けじと、エトー、エムボマ!!と返すと、その瞬間で「Mon ami(友達)」になれます。

 

そんな国民的スポーツのサッカー。学校でもサッカーを教えているのかなーと思って近くの小学校を訪問してみました。が、まずボールがない。そして体育の先生もいない。資金不足でボールが買えないのだそうです。

 

確かに、首都の小綺麗なスポーツ店では1個1万5000FCFA(約3000円)します。村人にとっては高級品。その代わりになるのが、ペットボトルや紙を丸めて作った手製の「ボール」です。もちろんゴールがあるわけはなく、木の枝を立てて簡易ゴールを製作。ボール一つで楽しめると思っていたサッカーでさえ、簡単には手に届かない村の現状を垣間見ました。

 

 

 

カメ人と球を蹴るのを密かに夢見ていた僕。首都でボールを手に入れたため、ボールを持って近所の小学校に乗り込みました!ボールを見つけるやいなや、目を輝かせてはしゃぐ子供たち。

 

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ボールを蹴り合う幼稚園児。かっかわいい

 

ボール一つでこんなに喜んでもらえるなんて。小さい頃、最新のゲームをいち早く買ってもらえたお金持ちの友達のことを思い出しました笑

 

 

「こんなに喜ばれるなら、寄付しちゃおっかな」

 

子どもたちの屈託のない笑顔に、そんな考えが頭をよぎる。でも結局、ボールを提供するという形は取りませんでした。

 

それは、一度物を提供すると、その後も続けて求められるのが怖かったから。いわゆる支援慣れというやつです。

 

これは国際協力の現場にいる誰もが葛藤する場面だと思います。そして絶対的な正解もない。

自宅を警備するガルディアン(ガードマン)の物を貸してくれ要求に一度応えた後、際限なく求めてくることを経験した直後だったため、必要以上に要求を恐れるようになっていたのかもしれません。

 

 

でも提供しなかったからこそのメリットもありました。

僕がボールを持っていると知って家を訪ね、一緒にサッカーしようと誘ってきてくれたり、ボールを借りに来たりするきっかけになったのです。ボールを渡してしまってはそれきりの関係だったかもしれません。ボールを介してつながれたきっかけと考えれば、ボールは一つの手段。この際、ボール目当てでもいいから、僕というよそ者の日本人を知ってもらえればいいなと思いました。

 

                                                                                                                               おわり